小女郎稲荷

  古寿老稲荷神社   東京都港区高輪1-18-11




 昔、麻布飯倉片町の付近に鎮座してたが、延宝六年(1678)ころ現在地に移った。

 俗に「小女郎稲荷」ともいう。そのわけは『御府内備考』三田代地(君塚町)の条に、「右に剣左に宝珠持、白狐に乗れる女之姿に相見え、里俗小女郎稲荷と唱来、弘法大師の作と申伝候」とあるので知られる。

 古来より町の失火もまったくなく、氏子中土地代々の家多く、氏神産子の念強く、神社を中心とする氏子を含む一画は、大正十二年関東大震災、昭和大空襲ともに難をまぬかれ氏子中はもちろん、近隣の人びとも「火除の神」として崇敬深く日々の参拝は多い。
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百観音

  円通寺   東京都荒川区南千住1-59-11




 延暦十年(791)、坂上田村麻呂が開創したと伝える。また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった四十八の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、このあたりを小塚原とよぶようになったという。

 江戸時代、下谷の広徳寺、入谷の入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれた。秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれたが、観音堂は安政二年(1855)の大地震で倒壊した。

 境内には、石像七重塔、彰義隊士の墓、永仁四年(1296)銘をはじめとする板碑四基(区指定文化財)などがある。
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第二區の初詣

   虎ノ門金刀比羅宮    東京都港区虎ノ門1-2-7




 万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致した。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可した。

 当時は“金毘羅大権現”と称されていたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至る。

 ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られている。

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め組辰五郎

  正覚寺  東京都港区高輪2-14-25




 浄土宗寺院の正覚寺は、演暢山成就院と号す。
 法蓮社心誉上人源霊(寛永廿年寂)が開山となり、元和五年芝金杉に創建、元禄4年当地(下高輪)へ移転したという。
 
 め組の組頭辰五郎は、「め組の喧嘩」の主役の一人である。
辰五郎の墓は正覚寺にある。他に、(社)江戸消防記念会第二區の組頭中が奉納した纏扁額がある。
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芭蕉庵

  芭蕉稲荷神社   東京都江東区常盤1-3




 深川の芭蕉庵は、蕉風俳諧誕生・発展の故地である。延宝八年(1680)冬、当時桃青と号していた芭蕉は、日本橋小田原町からこの地に移り住んだ。門人杉風所有の生簀の番小屋であったともいう。繁華な日本橋界隈に比べてば、深川はまだ開発途上の閑静な土地であった。翌年春、門人李下の贈った芭蕉一株がよく繁茂して、やがて草庵の名となり、庵主自らの名ともなった。以後没年の元禄七年(1694)に至る十五年間に三次にわたる芭蕉庵が営まれたが、その位置はすべてほぼこの近くであった。その間、芭蕉は庵住と行脚の生活のくり返しの中で、新風を模索し完成して行くことになる。草庵からは遠く富士山が望まれ、浅草観音の大屋根が花の雲の中に浮かんで見えた。目の前の隅田川は三つ又と呼ばれる月見の名所で、大小の船が往来した。それに因んで一時泊船堂とも号した。

 第一次芭蕉庵には、芭蕉は延宝八年冬から、天和二年暮江戸大火に類焼するまでのあしかけ三年をここに住み、貧寒孤独な生活の中で新風俳諧の模索に身を削った。

櫓の声波ヲ打って腸氷ル夜や涙
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな
氷苦く偃鼠が咽をうるほせり


 天和三年(1683)冬、友人素堂たちの好意で、五十三名の寄謝を得て、「本番所森田惣左門御屋敷」の内に第二次芭蕉庵が完成した。草庵の内部は壁を丸く切りぬき砂利を敷き出山の釈迦像を安置し、へっついが二つ、茶碗が十個と菜刀一枚、米入れの瓢が台所の柱に掛けてあった。「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」の旅はここから旅立った。

古池や蛙とびこむ水の音
花の雲鐘は上野か浅草か
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵


 元禄二年(1689)「おくのほそ道」の旅立りの際手離された旧庵の近くに、元禄五年五月杉風らの尽力で第三次芭蕉庵が成った。新庵は、三部屋から成り、葭垣、枝折戸をめぐらし、池を前に南面し、水楼の趣があった。他に預けてあった芭蕉も移し植えられた。

名月や門に指し来る潮頭
川上とこの川下や月の友
秋に添うて行かばや末は小松川


芭蕉庵の所在地は、元禄十年松平遠江守の屋敷となり、翌十一年には、深川森下町長慶寺門前に、什器もそのまま移築されたようである。

俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、まだここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
 ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正六年津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源太郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定した。
昭和二十年戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺蹟保存会が昭和三十年復旧に尽した。
しかし、当初が狭隘であるので常盤北方の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。
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